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ご祝辞

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以下の方々からご祝辞をいただきました。(50音順)

関連組織・団体さまより

日本病院ライブラリー協会 大沼由紀子 様  

このたび、医学中央雑誌創刊120周年に際し、日本病院ライブラリー協会(JHLA)を代表し、心よりお慶び申し上げます。

明治36年に、医学者である尼子四郎先生によって創刊されてから今日に至るまで、日本における医学・医療の世界に貢献し、その発展に大きな役割を果たしてこられましたことに、深く敬意を表しますとともに、日本病院ライブラリー協会への活動につきましても、多大なご支援ご協力をいただき、心から感謝申し上げます。

現在の医中誌Webは、従来の論文検索に加え、ゆるふわ検索や日本語でのPubMed検索などの新しい検索手法が加わり、医学文献に不慣れでも情報に近づくことができるようになりました。それでも私たち病院図書室担当者は、より的確な文献を探し出すため、図書室のあらゆる知識と技術を駆使し、効率的にレファレンスワークを行わなければなりません。利用者が求めている情報は何かを聞き取り要求に応えるために、広範囲な情報源が必要不可欠であり、そのためには他機関との協力・連携が重要だと考えております。

21世紀に入り医学は格段に進歩していますが、専門性をより高め、最高の医療が具現化するためには、最先端の臨床医学情報が、医療職に正確に伝達されることが重要です。そのため、日本病院ライブラリー協会では、エビデンスをつかうプロセスを再確認し、文献検索の意義と方法を理解し、身につけてもらうための利用者教育にも力を注いでおります。医療の中心は常に患者であり、すべての医療専門職は、患者のために統合されたチーム医療を実践してこそ医療が成り立つと言えます。病院図書室の役割は、迅速かつ的確な学術情報の提供を通じ、医療者・研究者を支援することと考えております。

結びに、創刊120周年を契機としまして、貴会がますますご発展されますことと、関係する皆様方のご健勝、ご活躍を御祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

日本病院ライブラリー協会 会長
㈱日立製作所 日立総合病院 図書室
大沼由紀子

日本医書出版協会 金原俊 様  
医学中央雑誌 創刊120年を祝して

このたび「医学中央雑誌刊行会」が発行する『医学中央雑誌』がめでたく創刊120周年を迎えられ、一般社団法人日本医書出版協会を代表して心よりお慶び申し上げます。

医書を発行する出版社で構成する当協会は、設立から60余年の歴史を有しますが、貴誌はその2倍となる120年を迎えられ、その間、一貫して日本の医学情報伝達の中心的役割を果たされていることに、改めて敬意を表します。貴誌は、毎年世に出される何十万もの医学文献を丹念に整理して収載し、その中から求める文献を提示する、日本で唯一無二の存在であり、120年にわたり日本の多くの医学研究者・医療従事者の活動を情報面から支えてきました。それによる医学の発展への貢献は計り知れません。

我々医書出版社にとりましても、発行する文献が読み手に正しく周知されて読まれる上で、貴誌は必要不可欠であるため、貴刊行会は当協会の設立当初からの重要メンバーとなっています。当協会内にはいくつかの委員会がありますが、私の提案により1995年頃に発足した「電子カタログ委員会」では、発足時から貴刊行会の松田真美さん(現:理事)に参加して頂き、当協会の目録の電子化にご尽力頂きました。その後に続いた「電子ジャーナル委員会」「電子出版委員会」では、電子配信の在るべき姿を熱心に検討して頂き、それが今日における医書の電子配信の基となりました。
特に参考文献リンクを実現するための「CrossRefリンク」や、その基盤となる国際的な識別子のDOI(Digital Object Identifier)の活用においては、プラン作成の中核を担って頂きました。そうした「電子出版委員会」内の検討を事業化した『医書.jpオールアクセス』では、書籍や文献の検索、DOIの付与と管理、参考文献リンクなどに貴誌のリソースが数多く用いられており、そうした貴誌との有機的な連携が、『医書.jpオールアクセス』に飛躍的な利便性の向上をもたらしています。
加えて当協会の「著作・出版権委員会」には、三沢一成専務理事にご参加頂き、多くの著作権問題に対応して頂きました。また昨年、私の発案により発足した「システム委員会」では、黒沢俊典理事に中心的役割で参画頂き、今まさに医書業界の流通情報システムの再構築を開始して頂いたところです。

当協会は発足以来、民間の立場で医学情報を円滑に提供する努力をしてまいりましたが、貴刊行会のご協力により電子化に拍車がかかり、使命とする医学情報の提供がより高度に達成されつつあります。長年の当協会へのご尽力に深く感謝申し上げると共に、今後とも質の高い医学情報の提供を通して医学・医療の発展に更に寄与されるようお祈りして、私のお祝いの言葉とさせて頂きます。

日本医書出版協会 理事長
医学書院 代表取締役
金原俊

日本看護協会 木澤晃代 様  
創刊120周年に寄せて

「医学中央雑誌」が創刊120周年を迎えられましたことに心よりお慶び申し上げます。

「医学中央雑誌」が看護学の発展に大きなお力添えをくださっていることを振り返ってみたいと思います。「医学中央雑誌」は、冊子で発行されていた1970年より日本看護協会図書館に所蔵されています。当時は「看護学」という分類項目はなく、看護文献は、社会医学や理学療法、内科等の各分野に振り分けられていましたが、1975年(317巻)に初めて「看護学」が分類項目の一つとして掲載されました。1970年代は看護大学も少なく看護の雑誌や、文献も少なかったのですが、1995年頃から看護文献数が増加してきました。その背景には、看護系大学の増加、看護実践の中での研究の重要性の認識の高まり、看護の対象や看護実践の改善に向けて研究的な取り組みの増加があったと推察されます。医中誌がWebで公開された2000年には看護系の大学も84校となり文献数も更に増加していました。Web検索の効率性、利便性により、多くの看護職が活用するようになりました。また、貴会には、本会が作成している「最新看護索引Web」の構築、提供にあたっても、多くのご支援を賜っております。次代に向けこれからも「医学中央雑誌」が発展し続けることを祈念致します。

日本看護協会 常任理事
医学中央雑誌刊行会 理事
木澤晃代

情報科学技術協会 清田陽司 様  

このたびは、「医学中央雑誌」の創刊120周年、まことにおめでとうございます。太平洋戦争による被災など数々の困難を乗り越え、1,500万件に及ぶ網羅的かつ有用な文献データベースを構築されてきたこととともに、医学界、ひいては市民および全人類の健康・福祉への貢献と、ビジネスとしての持続性を両立されてきた関係各位のご尽力に、心からの敬意を表します。

「医学中央雑誌」の歴史において特筆すべきこととして、優れた情報アクセス手段を時代に先んじて提供する不断の取り組みが挙げられます。2000年には、「医中誌Web」「医中誌パーソナルWeb」のサービスが開始され、以来Web上での利便性の向上に多大なる努力が払われています。このような取り組みを、弊会が発行する会誌「情報の科学と技術」や弊会主催のシンポジウムでもたびたびご発表いただくことで、医学分野以外の情報流通にも大きな好影響を与えていただいていることに、心からの感謝をお伝えいたします。

人工知能(AI)技術の飛躍的な進歩に伴い、学術文献はビッグデータとしてAIによって解析され、新たな発見や価値づけができる時代となりました。こうした時代にあっても、一貫した方針によって文献データベースを蓄積する営みの重要性は変わりません。弊会としても、「医学中央雑誌」のような価値あるデータベースの構築に取り組む方々のご貢献が今後も適切に評価され、健全なビジネスとして継続されるよう、啓発および理解促進への努力を惜しまない所存です。

今後の貴会および「医学中央雑誌」のますますのご発展を祈念いたします。

情報科学技術協会 会長
清田陽司

日本医学図書館協会 小松康宏 様  
医学中央雑誌創刊120周年にむけて

医学中央雑誌創刊120周年に際し、特定非営利活動法人日本医学図書館協会(JMLA)を代表してお祝い申し上げます。

医学中央雑誌(医中誌)が120年の歴史を刻んだのは医学の実践、研究に不可欠の存在だからであり、創刊された尼子四郎先生の先見の明はあまりにも偉大です。尼子先生の意思を継いだ医学中央雑誌刊行会が医中誌を時代に合わせて進化させ、利用者ニーズに応えていることも長く続く理由でしょう。2022年には大幅なリニューアルを行い、インターフェースを刷新して使いやすくするとともに、PubMed検索、ゆるふわ検索など新機能も搭載されました。120年かけて医中誌に蓄積された文献数は2023年1月時点で1500万件を超えました。質量ともに日本の医学情報を代表するデータベースとして不動の地位を確立し、日本の医学の発展に貢献されております。

私共JMLA会員にとっても医中誌はサービス提供上の必須ツールです。図書館職員は医中誌の操作に精通し、レファレンス調査に使用するとともに、利用者に対する教育活動も重要な役割と認識しております。そのためJMLAは、図書館職員や利用者を対象とした医中誌関連書籍の出版や、動画コンテンツ作成などを通じ、医中誌の利用を支援させていただいております。

今年で創立96年を迎えるJMLAの歴史は医中誌と共にあると言っても過言ではありません。医中誌の益々のご発展をお祈り申し上げます。

日本医学図書館協会 会長
群馬大学大学院医学系研究科医療の質・安全学 教授
小松康宏

紀伊國屋書店 高井昌史 様  

医学中央雑誌の創刊120周年、誠におめでとうございます。「医中誌」は日本の医療現場や研究機関、図書館において必須の資料・データベースとしての地位を確立しております。これはひとえに、1903年の創刊以来戦時中の困難な時期も刊行を継続されたこと、戦後を迎えてからは特に1980年代から2000年代初頭における学術情報の電子的な保存の実現や、冊子からCD-ROM、Web版へと刊行媒体を移行してきたことに象徴されるように、技術の発展を常に先取りしてきた貴会の先見の明と多大な努力なしには実現できなかったと言えます。

貴会の120年の歩みは弊社の歩みとも交差する部分があることに改めて気づかされました。紀伊國屋書店の創業は1927年に新宿の地に田辺茂一が小さな店舗を個人営業で開店したのが始まりです。戦後は国内外の店舗事業の拡大と合わせて大学図書館や研究者を顧客とした外商事業も発展させてまいりました。1970年代にはいち早く情報検索事業もスタートさせ、以降現在に至る学術情報の電子化・国際化の流れの中、まさに「医中誌」も含めて国内外の様々な学術情報サービスを取り扱う会社となりました。

弊社は2027年に創業100周年を迎えます。この度120周年を迎えられる貴会とこれからも手を携えながら日本の学術研究のさらなる発展に寄与して参ります。

紀伊國屋書店 代表取締役社長
高井昌史

国立情報学研究所 学術基盤推進部 竹谷喜美江 様、阪口幸治 様  

医学中央雑誌創刊120周年おめでとうございます。

貴会と弊所が連携の協議を開始したのは、CiNiiを含むGeNii(NII学術コンテンツ・ポータル、~2014)構想段階の2003年でした。その3年後の2006年12月に医中誌WebとCiNiiとの相互リンクが実現し、2008年には医中誌Webに収載された論文本文がCiNiiから閲覧できるようにリンクを充実させました。

医中誌Web とCiNiiの連携が実現したことにより、利用者は医中誌Webの色々な検索機能や、「医学用語シソーラス」などの豊富なメタデータが利用できるようになっただけでなく、異なるプラットフォームに登載されている電子ジャーナル本文へのアクセスが可能になる等、大いにサービス向上が計られました。

CiNiiは、変遷してCiNii Researchとなりましたが、医中誌Webとの相互リンクは着実に数を延ばし、2022年11月末時点で、総リンク数は約350万件、うち「本文あり」の数は、約138万件となっています。CiNii Researchに最新の医学分野の文献が加わることで、ますますその重要性は増しています。

今後、オープンアクセス論文の拡充により、利用者の本文アクセスへのニーズはより高まることが予測されます。弊所は今後も貴会と一層密な連携を図ることで、貴会の益々の発展に寄与したいと考えております。

国立情報学研究所 学術基盤推進部 次長
竹谷喜美江

国立情報学研究所 学術基盤推進部 学術コンテンツ課 係長
阪口幸治

国際医学情報センター 戸山芳昭 様  
医学中央雑誌創刊120周年に寄せて

医学中央雑誌創刊120周年、誠におめでとう御座います。一般財団法人 国際医学情報センター(IMIC)を代表しお祝いの言葉を述べさせて頂きます。

さて、世界では有事への緊張が高まり、地球温暖化による気候変動が深刻な影響をもたらしています。新型コロナウィルスの感染拡大、資源・エネルギー価格の高騰、食糧危機、インフレによる物価高なども同時進行しており、まさに地球規模で問題が積み上がっている様相です。国内に目を向けますと、日本の企業の成長力や競争力の低下、デジタル化の遅れが露わになりました。資源のない日本が世界と戦っていくためには、教育力と研究力を高め、人を育てる以外ありません。
そんな中、昨今の医学界を取り巻く環境も大きく変化し、IT、AIなどの進歩と相俟って、ビッグデータの活用などにより医学情報にも大きな波が押し寄せています。この医学情報を1903年から「医学中央雑誌」として発信し続けてきた刊行会に改めて敬意を表します。刊行会の医学情報は、当初の冊子体からCD-ROM版、更にはWeb版へと姿を変え、国内随一の医学論文データベースとして我が国の多くの医学・薬学・研究機関・企業等に提供され、正に日本の医学・医療を底辺から支えてくれています。今後の刊行会の益々のご発展と、引き続き医学情報発信の先導者として日本の医学界を支えて頂ければ幸いです。

国際医学情報センター 理事長
医学中央雑誌刊行会 理事
戸山芳昭

日本病院会 万代恭嗣 様  

創刊120周年誠におめでとうございます。心よりお祝い申上げます。

1974年に医学部を卒業し研修医を経て東大第二外科教室に入局後、和文検索の方法のひとつであることを私の恩人の一人である丸山雄二先生よりお教えいただきました。当時はもちろん書籍形態であり、電話帳ほどある厚さのいくつもの巻号を図書室の机の上に積み上げ、文献検索をしておられるそのお姿はいまでも鮮明です。先生は本誌の委員を務めて活躍しておられ、傍で羨ましく眺めておりました。その後医中誌Webが開始され、早速に会員となりました。ちょうど日本臨床外科学会の編集委員に就任、さらにはその後編集委員長を務めましたので、査読や審議にあたって種々の文献を迅速に検索することができ、極めて便利に利用させていただきました。本当に本誌にはお世話になりました。委員長退任後のしばらくは間遠となりましたが、2017年より日本病院会副会長に就任、その役目の一つとして理事をお引き受けしたのもなにかの縁と考えております。これまでのお礼にとも思い就任いたしましたが、果たしてどこまでお役に立てているか甚だ自信のないところです。医中誌Webの内容やユーザーインターフェースはそれぞれの時代に応じて工夫し充実洗練されてきており、その充実ぶりに瞠目するばかりです。末筆ながら、益々のご発展を祈念しております。

日本病院会 副会長
北多摩病院 病院長
医学中央雑誌刊行会 理事
万代恭嗣

日本看護図書館協会 藤澤まこと 様  

このたびは、医学中央雑誌の創刊120周年を迎えられた事、心よりお慶び申し上げます。

本日本看護図書館協会は、1991年に看護の教育と研究に寄与すべき役割を担う図書館としての質の向上と発展を目的として「看護図書館協議会」として発足し、2003年より「日本看護図書館協会」として事業を展開致しております。図書館事業の質の向上を目指すうえで、医学中央雑誌のご発展は切り離せないものと考えます。

看護学は、すべての人々の自立・自律した健康生活の維持・増進をめざし支援する看護実践の根拠となる学問であり、その支援方法を理論と実践の両側面から追究し続けなければならないと考えます。先行研究の知見を活かし、看護実践を基盤としたさらなる研究を積み重ねることにより、より人々のその人らしい生き方への支援に繋がることと考えております。そして看護学研究における、医学中央雑誌の貢献は計り知れないものと、平素より深く感謝いたしております。日本看護図書館協会におきましても、医学中央雑誌の円滑な活用を支援し、看護学をはじめ関連する学問分野の発展にも寄与できるよう努めてまいります。
未筆ながら、医学中央雑誌の一層のご発展と皆様方のご活躍を祈念致しまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

日本看護図書館協会 会長
藤澤まこと

サンメディア 松下茂 様  

医学中央雑誌の創刊120周年を心よりお祝い申し上げます。
貴刊行会は、一世紀以上の間、臨床医や医薬分野の研究者、学生に文献情報の提供を通じて、国内の医療の発展に大きな寄与をされてきました。120周年の節目にご祝辞を申し上げる機会を頂戴しましたことは、大変光栄で身に余る名誉なことでございます。

私と医学中央雑誌との出会いは、今の会社にサーチャーとして採用された時でした。当時はMEDLINEやEmbaseは、公衆回線を通じたオンラインでの検索が主流でしたが、医学中央雑誌の検索はまだマニュアル検索(弊社ではハンド検索と呼んでいました)でした。
ただ、80年台の半ばに「医学中央雑誌タイトルガイド」というオンライン検索の試行版をリリースされたことは、後に医中誌Webとして結実したオンライン検索を早くから視野に入れておられたからだと後になって思いました。

1997年に開催された医学情報サービス研究大会第14回東京大会のブース出展では、弊社ブースの向かい側にご出展されておられ、初めて色々なお話ができたことは今でも鮮明に覚えており、印象に残る出来事でした。
弊社は1993年以降、紀伊国屋書店様を通じて主に病院向けにCD-ROM版を販売してまいりましたが、2000年の医中誌Webリリース後には販売代理店という責任と役割を拝命し、今日に至っております。

これらのお付き合いを通じて感じることは、医中誌Webのリリースで一気にWebビジネスに転身されたように、医学中央雑誌刊行会が常に革新的なチャレンジ精神を持って、事業に取り組まれているということです。
このチャレンジ精神は、今後も多くの利用者に恩恵をもたらし、日本の医療の発展に貢献し続ける原動力となることを疑う余地はございません。
これからも医学中央雑誌刊行会のさらなるご発展と職員、御関係者様のご健勝を願って止みません。

サンメディア 代表取締役社長
松下茂

日本医薬情報センター 村上貴久 様  

創刊120周年おめでとうございます。

創刊以来、政治社会の変動に影響を受けることなく、第2次世界大戦後の混乱の状況も克服し、わが国の医学を支えるために着実に刊行を続けてこられた歴史に敬意を持たざるを得ません。また、国立国会図書館デジタル化資料として、創刊以来のバックナンバーを公開されましたことは、日本医学について学びたいと考える研究者にとって大きな助けとなるものと思います。さらに、過去にさかのぼって検索できるようにOLD医中誌プロジェクトを進めておられることに感謝しております。私の所属する日本医薬情報センターは、医薬品の有効性・安全性に関する文献情報を収集・データベース化して提供しておりますが、創立以来まだ50年です。今後、ユーザニーズは変化していくと思われ、医学中央雑誌刊行会の活動に学びながら業務を行っていきたいと考えております。

日本医薬情報センター 会長
医学中央雑誌刊行会 理事
村上貴久

日本薬学図書館協議会 望月眞弓 様  
医学中央雑誌創刊120周年を記念して

日本薬学図書館協議会を代表して医学中央雑誌創刊120周年を心よりお祝い申し上げます。

薬学部では、2006年度より薬学教育6年制が開始され、薬学教育モデル・コアカリキュラムが導入されました。当時はEBMが広く浸透してきた頃で、医薬品や医療に関する文献データベースを利用してエビデンスを収集し臨床の薬物治療に活用することが求められ始めていました。
それまでの薬学教育では文献の検索方法や論文の評価などを系統的に教育する場面はありませんでしたが、モデル・コアカリキュラムに到達目標として設定されたことを契機に、医療領域で代表的な文献データベースの種類と特徴、検索の実際などの教育が進められました。そこでは、医中誌データベースは、MEDLINEやEMBASEと並んで必ず取り上げるデータベースとなっています。

オープンサイエンスやデータ駆動型研究が注目される中で120年前に医学の研究論文を蓄積して利活用することを開始されたという創刊者の尼子四郎先生の先見性に敬意を表すとともに日本にこのようなデータベースがあることを誇りに思います。医中誌データベースを貴重な公共資材の1つととらえ維持継続することを社会全体で取り組むべきものと思っております。医学中央雑誌刊行会のますますの発展を記念してお祝いの言葉とさせていただきます。

日本薬学図書館協議会 会長
慶應義塾大学 名誉教授・薬学部 特任教授
医学中央雑誌刊行会 編集委員
望月眞弓

丸善雄松堂 矢野正也 様  

このたびは、明治36年の医学中央雑誌ご創刊よりめでたく120周年をお迎えになられたとのこと、心よりお祝い申し上げます。

明治、大正、昭和、平成、令和と、平穏なときばかりではなかった時代を超えて、この記念すべき年をお迎えになられたのは、ひとえに先人の方々の意志を引き継ぐ皆様の日々のご研鑽の賜物と拝察いたしております。

弊社も丸屋商社として同じく明治期に産声を上げましたが、創業者の早矢仕有的は医師でもあり、西洋医学をはじめとする科学的知識を国内に広く伝えることを創業以来の柱としてまいりました。その意味においても、貴会が日本の医学界の発展に貢献されてきたことと浅からぬ縁を感じると共に、長きにわたり貴誌の普及に関わらせていただいていることは大変光栄であり、意義深いものと考えております。

貴誌はその長い歴史を通じて、時代のニーズや最新の技術動向も踏まえて、医学情報をより的確かつ効率的に入手したい方々に向けて最適な提供形態を実現されてきました。弊社においても、冊子体はもとより、CD-ROMチェンジャーも組み合わせての納入など、それぞれの時代に即して最良の方法での提供に努めてまいりましたが、近年では医中誌Webの検索結果から弊社の学術・教育機関向け電子書籍プラットフォーム、Maruzen eBook Libraryへのフルテキストリンクを実装しております。

今後も貴会との連携を密にしながら、医学界ならびにそれに関わる広い領域の発展に取り組んでまいりたく存じます。

最後になりますが、貴会のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。

丸善雄松堂 代表取締役社長
矢野正也

ユサコ 山川真一 様  

この度は医学中央雑誌刊行会様が120周年を迎えられた事、心よりお慶び申し上げます。
弊社、ユサコ株式会社は現在創業72年目ですので、120年という年月を事業の発展と日本の学術研究の発展に貢献されてきたことに敬意を表します。

医学中央雑誌刊行会様の長い歴史の中で、弊社が販売代理店としてお手伝いをはじめたのは、1990年代はじめ、医学中央雑誌CD-ROM版の発売時期と重なります。
当時は現在のPubMedがMEDLINEと呼ばれ、有料で検索サービスが提供されていた時代でした。米国では80年代末にこのMEDLINEがCD-ROM化され、医学文献の検索が大きく変化した時期でもありました。
当時の篠原理事長をはじめ、刊行会の経営陣の方がこのCD-ROMをなんとしても普及させたいという熱い思いを受け、弊社も微力ながらお手伝いさせていただこうと決意したこと今でも鮮明に覚えております。
その後CD-ROMもWEB版に替わり、益々便利なツールになって現在でも多くのお客様にご利用いただいていると思います。
また、刊行会様との30年以上に渡るお付き合いは、仕事だけでなく、定例の代理店会議を通じた親睦会や、野球の交流試合など多岐にわたり、刊行会様の取引先との関係を大切にしていただく姿勢に非常に感銘を受けました。

医学中央雑誌刊行会様の益々のご活躍とご発展をお祈り申し上げます。

ユサコ 代表取締役
山川真一

国立国会図書館 吉永元信 様  

医学中央雑誌が創刊120周年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。

一世紀を超える長きにわたり、貴会が医学分野の論文を網羅した利便性の高い索引誌を提供され、医学界はもとより、図書館界においてもサービスを遂行する上で多大な恩恵を受けてまいりました。統制されたキーワードで論文を探せるよう、早くも1931年から通常号とは別に総索引号を発行されるなど、機械検索が可能となるはるか以前から、検索利便性に優れた仕組みを追求されてきました。コンピュータもない時代に大変な労力を要する作業であり、貴会の学問・研究に対する深い見識と崇高な使命感に心より敬意を表します。その検索利便性の高さは、医学用語シソーラスを用いた「医中誌Web」にも引き継がれており、今もなお、国立国会図書館の調査及びレファレンス業務において不可欠なツールの一つとなっています。

現在、歴史的な1903年の創刊号には、「国立国会図書館デジタルコレクション」から誰でもがアクセスできます。この背景には、当館が2009年度から実施した大規模デジタル化事業の一環として、貴誌の創刊号から1983年刊行分までの誌面のデジタル化の実現があります。加えて、貴会のご理解とご許諾が得られ、そのデジタル化資料画像のインターネット公開が2011年10月に実現しました。当館がデジタル化した雑誌のインターネット公開の嚆矢であり、その後、幾つもの学術雑誌の同様のご理解へのモデルともなる画期的な出来事でした。

2021年度、当館はそれまでにデジタル化した資料約247万点のOCR処理によるテキスト化事業を行い、2022年12月から、リニューアルした国立国会図書館デジタルコレクションでのテキストデータを用いた全文検索を可能としました。貴誌の1983年刊行分までの誌面も全文検索ができます。当館は、テキストデータを活用した新たなサービス開発への挑戦など、今後も貴会と協力し、学術情報流通の基盤づくりに取り組んでまいりたいと存じます。

最後に、貴会の長年の意義深い活動に改めて敬意を表するとともに、当館の活動に対するこれまでのご理解とご協力に深く御礼を申し上げます。

国立国会図書館 館長
吉永元信

理事・編集委員より

副理事長/編集委員 大江和彦  
医学中央雑誌創刊120年に寄せて

私が医学部学生だった1982年ころ、医学中央雑誌というたくさんの重い冊子が大学の医学図書館の棚に並んでいて、開いてみると書誌情報で埋め尽くされていた。これをどのように使えばよいのだろうかと思案した記憶がある。当時、売り出された黎明期のパソコンを趣味にしていた私は、音響カプラーという器具でパソコンを電話器と接続して、日経社のデータベースサーチシステムを契約し、時にMEDLINE(PubMedの前身)を検索していた(秒刻みの課金は辛かった)が、それでもMeSHシソーラスのありがたさや文献データベースのパワーを体感していた。日本語の医学文献も検索できるといいのにと思っていたが、医学中央雑誌が83年にはコンピュータ編纂を開始し、86年にはJICSTでのサービスを実現したことを振り返ると、インターネットの普及が90年代であることと照らして非常に先見的なサービスを早期に開始していたことがわかる。

120年前、「吾輩は猫である」の甘木先生のモデルとも言われる尼子四郎先生が始められた医学中央雑誌の創刊は、現在の医学論文の二次資料データベースの原型のひとつであり、信じられないほどの先見性を有し、献身的努力により実現したものである。そうした先見性と献身性が今の医学中央雑誌刊行会に引き継がれ、データベースの弛まざる拡大と遡及、医学用語シソーラスの改訂、Web検索サービスの改善などが続けられ今日に至っていることに敬服する。ここに僭越ながら120周年をお祝い申し上げ、これからの更なる先進的サービスの実現に期待を膨らませる次第である。

東京大学大学院医学系研究科 社会医学専攻 医療情報学分野 教授
大江和彦

編集委員 小野木雄三  
創刊120周年記念Webサイトへの祝辞

おめでとうございます! 医学中央雑誌刊行会の創立120周年をお祝い申し上げます。

医学中央雑誌は国内医学論文の抄録誌として発展し、現在は医中誌Webとして国内医学文献の検索に無くてはならないサイトとなっています。

私と医中誌との出会いは2000年問題で皆が固唾を飲んで年越しをしていた頃になります。オレゴンのOregon Health & Science University(OHSU)で日本語医学用語を使ってPubMed検索を行うシステムを試作していたのですが、それは医中誌の医学用語シソーラスがあったからこそ実現できたのです。

現在、私は放射線診断専門医としてCTやMRIの読影をしています。そして多くの方が放射線診断は近いうちにAIに取って代わられるであろうと言っています。とんでもないこと、と思っていましたが、AI研究は着実に進歩しており、どうやらそうでもなさそうな勢いです。しかしAIを利用しながら読影することになっても、放射線診断医がいなくなるとは思えません。コンピュータが計算速度でソロバンを超えた様に、AIは懸命に緻密な猿真似をしているだけなのですから。試しにこの創刊120周年の祝辞をOpen AIで書かせてみたところ、当たり障りなく優等生的でありながらも的外れな文章を書いて来たので、大いに安心しました。

医学中央雑誌刊行会にもAIの波は押し寄せて来ると思いますが、放射線診断と共に頑張って、人間の優位性を示していこうではありませんか。医学中央雑誌刊行会がこれからも発展し続けることを心よりお祈り申し上げます。

国際医療福祉大学三田病院 放射線科 教授
小野木雄三

編集委員 木内貴弘  
医学中央雑誌創刊120周年をお祝いして

医学中央雑誌創刊120周年おめでとうございます。民間の立場で、長年に渡り、医学に多大なる貢献をされてきた実績に多大な敬意を表し、祝辞を寄稿させていただきます。

私と医学中央雑誌(以下、医中誌)との出会いは、恩師の開原成允先生と先生の創設されたUMINを介してでした。開原先生のご紹介で、医中誌の編集委員となり、医中誌のインターネットサービスの開始にあたって、医中誌からいろいろと相談を受けた記憶があります。開原先生は、医中誌を非常に高く評価されており、「国の事業では、このような効率的な運用はできない」とよくおっしゃっておられました。

私は、医中誌の職員の皆さんから、創設者の尼子四郎先生と後を継がれた尼子富士郎先生が、「医学のために貢献しなさい、金儲けをしてはいけない」といつも諭されていたという話を何回も聞いています。税金を使っている機関(実は、私もそうした機関にいます)が、非効率になりがちな一方で、民間の組織はどうしても営利に傾きます。医中誌は、常に医学界の要人を役員に迎え、非営利で活動しながら、大きな実績を上げてきました。これは両尼子先生の素晴らしい哲学とこれを継承された歴代の役員、職員の方々の努力の賜物であると考えています。こうした経緯を知らない人が、「医中誌は高い」等と言うのを聞くのは本当に残念です。

今後も医中誌がますます発展して、医学界への貢献を続けられるよう祈っています。

東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻 医療コミュニケーション学分野 教授
木内貴弘

副理事長/編集委員 北村聖  
医学中央雑誌120周年に寄せて

明治36年尼子四郎先生が医学中央雑誌を創刊され、120周年、おめでとうございます。現在の情報化社会の礎となる書誌情報の索引の重要性を認識し、医業を営む傍ら公の支援を全く受けずに民の力だけで医学中央雑誌を創刊され、継続されてきたことに、言葉に尽くせないほどの深意からの謝辞を申し上げたい。民間の力で書誌情報をこれだけ古くから収集管理しているのは世界広しと言えども医中誌をおいてほかにないと思う。

自分が学生、研修医の頃は医学図書館の入り口に近いところに大部の医学中央雑誌が並んでいて、そこで調べたい病名などを頼りに索引から論文を探し、奥の鉄階段を上ったところにある書庫で論文を探し、また玄関近くの索引コーナに戻るというのが勉強の始めであった。大変な作業ではあったが、実は好きな作業の一つでもあった。好きな理由を言語化するのは難しいが、あえて言えば孤独な作業で、なおかつ自分の進歩が実感できた場所であったからかもしれない。また、その後に無事に症例発表ができたという成功体験がついてきたのも好きな理由かもしれない。

いろいろな経緯があり、医学中央雑誌の編集委員にしていただいた。不正論文の扱いを検討していく中で、著者自らが撤回した論文の書誌情報を削除すべきかという問題が持ち上がった。何度かの議論の末、撤回論文と明記したうえで永久に残すことになった。著者にとっては重い処置であるが、おそらく書架の論文には撤回とは張られていないであろうから正しいものと思う後世の読者を守るためにも撤回論文として残すことになった。

現代は、雑誌そのものが電子化して、情報にラベルを張るような感じで、実態感のない状況ではあるが、医学中央雑誌の意義はますます重要性を増していると思う。次の時代へしっかりとつながって発展してほしい。

日本医学会医学雑誌編集長会議組織委員会 委員長
東京大学名誉教授
北村聖

編集委員 酒井由紀子  
多様なニーズに応える医学文献データベースの継続

『医学中央雑誌』創刊120周年に際し、医学中央雑誌刊行会の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

医学図書館員として創刊100年の記念冊子を拝見してから、早くも20年を数えることに感慨を覚えます。この間、医学文献検索はウェブサービスによるエンドユーザサーチがあたりまえとなる一方、「根拠にもとづく医療」の普及を背景に、診療ガイドラインやシステマティックレビュー作成のための情報専門職による網羅的なエキスパートサーチングが明示的に求められるようにもなりました。同時に、一般の人々の健康医療情報への関心の高まりから、医中誌Webを使える公共図書館や患者図書室なども増えてきました。

現在私は、図書館情報学の研究教育に従事していますが、上記にあげたような医学文献データベース利用者それぞれの利用実態やニーズについても調査研究を通して把握することに努めてまいりました。また、医学中央雑誌刊行会が、そのような利用やニーズを踏まえ医中誌Webに様々な工夫を重ねてきたことも、編集委員会の一員として確認してきております。貴会が多様な医学文献検索へのニーズやその変化に応え、医療や健康分野の発展にこれからも寄与し続けることを願ってやみません。

帝京大学共通教育センター 准教授
酒井由紀子

編集委員 讃岐美智義  
医中誌の変遷と私

医学中央雑誌創刊120周年おめでとうございます。
医学中央雑誌は、1903年に日本初の医学文献抄録誌として誕生し、以来、日本語文献だけでなく外国語文献も含めて幅広く収録し、医学界に貴重な情報を提供してきました。また、時代とともに形式や媒体を変えてきましたが、常にユーザーの利便性と信頼性を追求してきました。その結果、医学中央雑誌は、日本最大級の医学データベースとして国内外から高い評価を得ています。

私自身も、医学生時代から医学中央雑誌にお世話になっております。文献検索や整理はもちろんですが、抄録や索引から新たな知識や発想を得ることも多くありました。また、医中誌CD-ROMやWEB版では、自分で作成したソフトウェア1)や文献管理ソフトウェアと連携させて効率的に作業することができました。さらに、ユーザー代表として編集委員会に参加させていただくことで、多くの方々と交流する機会も得られました。このような経験から、医学中央雑誌は単なるデータベースではなく、私にとっては人と人をつなぐコミュニティでもあると感じています。

これまで長年にわたって素晴らしい仕事をされてきた編集委員会の皆様や関係者の皆様に心から敬意と感謝を申し上げます。今後も医学中央雑誌が利便性の高い文献情報を広く発信し続けることを期待しております。そして私もその一員として微力ながら応援してまいります。このような思いで、最後になりましたが、再度、心より120周年を祝辞申し上げます。

※ 参考文献
1) 讃岐 美智義、中尾 正和、河本 昌志、他. 医学文献データの汎用テキスト化の方法 Reference Transform Utility(Macintosh)で用いた手法と機能の紹介 . 麻酔. 1994; 43(1): 140-146

国立病院機構 呉医療センター・中国がんセンター 中央手術部長
讃岐美智義

編集委員 鈴木吉彦  
医中誌Webに、シェア医学の機能が追加できたとしたら

120周年、おめでとうございます。
医中誌は、当初はアナログで配布されていた資料を、手打ちするのが大変な手間でした。それをデジタルにし、Mediproというプラットフォームで検索システムを構築し、課金コンテンツとして販売ができたのは20年以上前でした。デジタル化が進むと、日本の医学界において権威のある検索システムとして高い評価を受けています。

今後は多言語化が進み、AIの技術が進歩する事により、マルチ言語表記となり、さらには自然言語処理技術を用いた医学論文検索へときりかわり、キーワード検索よりもより詳細な情報を提供することができる発展を遂げることを期待しています。その結果、検索結果は、キーワード検索よりもより正確で詳細な情報を提供することができようになることでしょう。

また、医中誌Webは、医療関係者向けの情報提供の場として有用なウェブサイトの一つです。医中誌Webの機能があることで、医療関係者同士の情報交換や意見の共有がスムーズに行えるようになります。また、医学的な知識や最新の研究成果などの情報にアクセスしやすくなることで、医師の診断や治療の質の向上につながる可能性があります。

私たちは、医中誌Webと共にオンライン相談、面会、診療が可能となる高い知識をシェアしあう場、略して「シェア医学」というコンセプトを軸とした、コミュニティの場を構築していく事を目標としていきたいと考えております。
今後、医中誌Webは日本のみならず、世界の臨床現場に役立つ学習シーンを変革していく台風の目のような存在になっていただくことを期待してやみません。

HDCアトラスクリニック 院長
鈴木吉彦

編集委員 津谷喜一郎  
EBMライブラリアン・ワークショップと医中誌研究デザインタグができた頃

医学中央雑誌創刊120周年おめでとうございます。

私がマニラのWHO西太平洋地域事務局の初代伝統医学担当医官、彼がマニラの日本大使館のhealth attachéだった頃知り合い、なんとなく馬が合い帰国後も交流のあった厚生省の故・高原亮治先生から、1998年の夏ごろ以下のような依頼があった。

「津谷君、元WHO事務総長の中嶋宏先生を知っているだろう。第3期の選挙戦を降りてもらったから、何とかせにゃいかん。EBMといっても多忙な医師がエビデンスレベルを自分で探し出すのは大変だ。司書の資格を持っているが自宅にいて働いていない人も多い。彼女らを訓練してリサーチライブラリアンを養成するプロジェクトを考えている。ついては中嶋先生をサポートしてくれないか」というものだ。

中嶋先生はよく知っており選挙戦の背景1)なども承知していたので、「EBMを支えるリサーチライブラリアン養成についての調査研究」を引き受けた。1999年3月23-25日に「第1回EBMライブラリアン・ワークショップ」が開催された。好評で2)、書籍化3)もされ、その後、若干名称を変えるなどして5年間継続的に開催された。医中誌刊行会からも講師の一人として参加があり、医中誌DBの解説がなされた。

こうした状況下で医中誌刊行会は2001年9月にEBM検討委員会を設立した4)。また担当の佐久間せつ子さんらが東大のわたしの研究室に相談しに来られた。

そして医中誌において2003年作成分のデータから「ランダム化比較試験」「比較臨床試験」「メタアナリシス」「臨床試験」の4つの研究デザインタグ付与が開始された。医中誌発刊は1903(明治37)年だ。わたしは外国人に医中誌を説明する際、日英同盟の翌年、日露戦争の前年設立と話す。その100周年目に、エビデンスに係る種々の局面で使える研究デザインタグ付与が開始されたのは喜ばしい。

なお、2か月後に「臨床試験」は「比較研究」に代えられた。また2005年分から「診療ガイドライン」が加えられ、さらに2007年分から「比較臨床試験」はより分かりやすい「準ランダム化比較試験」に代えられ、タグは現在の5つから成り立っている。別途、日本ハンドサーチ・エレクトロニックサーチ研究会(JHES) で収集されたRCTと準RCTは医中誌データベースに組み入れられた。

いま振り返ると、一部生々しい背景をもって始まったEBMライブラリアン養成ワークショップは、エビデンスの川下に位置するユーザのみならず、川上のデータベース作成者も養成したことになった。この領域を担当された佐久間せつ子さん、宇山久美子さんらと交流できたのはよい思い出だ。高原先生も草葉の陰でにっこり笑っているだろう。

※ 参考文献
1) Tsutani K. Ambivalent views of Japanese over re-election of WHO director-general . Lancet 1993; 341:1097.
2) 坂巻弘之、津谷喜一郎、山崎茂明、廣瀬美智代、宇山久美子、中嶋宏. EBMにおけるリサーチライブラリアンの役割と養成:ワークショップ・プログラムの作成とその評価 . 医学図書館 1999; 46(2): 201-8
3) 中島宏(監修)、津谷喜一郎、山崎茂明、坂巻弘之(編). EBMのための情報戦略:エビデンスをつくる、つたえる、つかう . 中外医学社 2000.
4) 佐久間せつ子. 医学中央雑誌データベースにおけるEBMへの取り組み . 薬学図書館 2003; 48(2):107-10.

※ 注記
医中誌Webにおける研究デザインによる検索は1983年分データから可能である。
参照ページ:医中誌DB情報:研究デザインタグ

生存科学研究所 理事
元東京大学大学院薬学系研究科医薬政策学 特任教授
津谷喜一郎

編集委員 永井良三  
医中誌120周年を祝う

医学中央雑誌創刊120周年をお祝い申し上げます。現在、Web検索が発達し情報検索は大変容易になりました。しかし医学中央雑誌は、IT時代の到来する遥か昔から、日本の研究者のために重要な情報を研究者と臨床医のために提供してきました。

筆者の学生時代、衛生学の実習の担当は、助手時代の和田攻先生(後に東京大学衛生学教授、産業医科大学学長)でした。先生は生涯にわたって大事なことを教えておくと言われて、グループの学生を図書館に連れて行き、医学中央雑誌とCurrent Contentの使い方を指導してくださいました。文字通り国内の研究動向は医学中央雑誌しか窓口はありませんでした。それから半世紀が過ぎ、医中誌Webは創立以来の1500万件を提供し検索も容易です。さらに文献は電子ジャーナルやOPACにリンクするなど、機能が大変充実しました。

いかに優れた論文が発表されても、これを集大成するデータベースと検索システムがなければ、世に知られることはありません。医学中央雑誌はこの役割を長年にわたって果たしてきました。日本の学術の基盤を支えるシステムとして、これからもさらに発展されますようお祈り申し上げます。

自治医科大学 学長
永井良三

編集委員 中山健夫  
医学中央雑誌120周年をお祝い申し上げます

医学中央雑誌が120周年を迎えられることを心よりお祝い申し上げます。
1990年代後半、EBM時代の訪れと共に、インターネットによる文献検索が急速に発展し、医中誌Webが生まれました。分厚い索引誌の時代を知る者として、この20年余りを振り返り、形を変えながらも医学の情報の支えとして、医療者はじめ多くの方々に信頼されてきた医中誌の歩みに感慨を新たにしています。
一開業医であった尼子四郎先生が、貴重な情報が整理されないまま散逸していくことを憂えて、個人で収集した文献から医中誌が誕生した事実は、米国のMEDLINEが国策として推進されたのとあまりに対照的で、市井の先人の存在を改めて心に刻んでおります。

医中誌の皆さまには、診療ガイドラインに関する厚生労働科学研究班の事務局や、関連のシンポジウムの後援をいただいたり、認定NPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパンにも長くご支援をいただき、本当に大変お世話になって参りました。この場をお借りして心より御礼を申し上げます。
医学中央雑誌刊行会のさらなるご発展を祈念して、お祝いの言葉とさせて頂きます。

京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 健康情報学分野 教授
中山健夫

編集委員 名郷直樹  
医学中央雑誌120周年を記念して
医学中央雑誌の明日へ向けて

まずは120周年おめでとうございます。120周年と聞いて、私の人生のおよそ2倍、まずそんなことを考えました。120年前、明治36年、私の母方の祖母が明治28年生まれ。その祖母が小学生時代の出来事です。

そのころに医学論文を集積して提供しようという事業の背景にある熱意が、どんなものであったのか、もはや想像の外です。情報の質、量、検索性などという点で言えば、120年を経て、その進歩には目覚ましいものがあるでしょう。しかし、その背後の熱意、願いというのでしょうか。そこはどうなのだと問われたとき、ということを考えずにはいられません。

何かということさえはっきりと言えないそのものに考えが及ぶとき、今の自分にいったいどんな思いがあるかと言えば、恥ずかしいとしか言いようがないような気がします。

日本語の医療情報を網羅し、質を担保し、検索性の改善を目指す。これからも改善の努力を続けていかなくてはならないでしょう。しかし、それでは最も大事なものが欠けているように思えてなりません。その欠けたものをどう取り戻せばいいのか、大きな危機感をもって、次の10年に向けて何かの役割が果たせればと思います。

武蔵国分寺公園クリニック 名誉院長
名郷直樹

理事/編集委員 野添篤毅  
医学用語シソーラスとMeSH

1983年、医学中央雑誌は冊子体の抄録誌のコンピュータ編集をすることになりました。その機会にこれまで収載論文の索引作業に用いられてきたキーワード・リスト「件名標目表」を米国国立医学図書館(NLM)のデータベースMEDLINEで用いられているシソーラスMedical Subject Headings(MeSH)と互換性のある「医学用語シソーラス」の構築を提案し、その第一版を編集刊行しました。「医学用語シソーラス」ではMeSHで用いられているカテゴリーそして用語の階層構造を参考にしましたが、従来の「件名標目表」は語数も少なく用語間の相互関係も明示されていないため第一版のシソーラスは収録語数も13,485語という貧弱なものでした。しかしその後の医中誌のデータベースの発展とスタッフの長年の努力によって40年に渡り4年ごとに改訂されるという我が国の専門分野のシソーラスとしては比類を見ない質の高い索引・検索ツールとなっています。そして2023年には第10版が刊行され33,000以上のシソーラス用語が収録され、それらがMeSHのカテゴリーの下に配列されています。第10版の「医学用語シソーラス」は2022年度版MeSHに準拠していることから医中誌WebはNLMのMEDLINE/PubMedと互換性ができ、PubMed検索への橋渡しが容易になっています。世界の医学文献検索の分野ではPubMedが最も広く活発に活動していますが、わが国の医学文献情報の検索においては「医中誌Web」が必須のツールとなっています。「医学用語シソーラス」はNLMが推進している統合型医学用語システムUMLSにも情報を提供されていてNLMとの協力関係が密なものとなっています。

今後、医中誌Webサービスにおいてはデータベース作成の面では自動索引、そして検索の場面ではAIによるより高度な手法の導入が期待されます。医学中央雑誌刊行会が120周年を迎えデータベースサービスの質的向上が図られることによってわが国の医学医療への情報分野からの貢献度がますます増してくることが望まれます。

愛知淑徳大学 名誉教授
野添篤毅

理事/編集委員 福井次矢  
医学中央雑誌 創刊120周年祝辞

1903年に尼子四郎先生が「医学中央雑誌」を創刊されて、本年は120周年となります。
この間、とりわけ21世紀に入って以降、医学中央雑誌刊行会が世界のデジタリゼーションの大きな変化に見事に、かつ適切に対応され、国内外の医学論文データベースが拡大され、利用者へのサービスが著しく高められてきたことは特筆すべきことと考えます。その背景には、理事長のリーダーシップのもと、刊行会を挙げて、常に高い目標を掲げ、外部からの意見に耳を傾け、改善のサイクルを回そうとする強い意欲を感じます。実際、私自身、医学中央雑誌編集委員会の委員を仰せつかって以来、委員会に出席するたびに、そのことを感じてまいりました。

医学論文データの利用者は、120年前に尼子先生が想定した「研究家」(研究者)、「実地家」(臨床医)のみでなく、今や政策(エビデンスに基づく政策)立案者、医療内容の最終的決定権者である患者(ひいてはすべての人々)にまで広がっています。ものの考え方、文化、社会が大きく変わりつつある現在、そして未来に向かって、医中誌Webの重要性はいや増すばかりであり、医学中央雑誌刊行会の益々の発展を祈念いたします。

東京医科大学茨城医療センター 病院長
卒後臨床研修評価機構 専務理事
福井次矢

編集委員 福岡敏雄  
120年前に尼子四郎先生に見えたもの

医学中央雑誌が、発刊から120年の節目を迎えたことを、心からお祝いいたします。医学中央雑誌は、医学医療の研究や学習の基盤であり、医学の発展に貢献してきました。それは、創設者の尼子四郎先生が目指されたことでした。さらに変化する時代の要請に一貫して着実に応えています。私が学生時代に慣れ親しんだ冊子体での提供はなくなりましたが、インターネットでの配信サービス「医中誌Web」によって個人や団体でも幅広い利用が可能になりました。キーワードも検索手順も精緻化し、サービスも多様化しました。さらに最近は一般の図書館や自治体にも導入事例が広がっていると聞いています。

21世紀を迎え、医学中央雑誌が目指してきた一次情報を体系的にまとめる重要性は高まっています。ICT 技術は情報入手と集積を簡便にする一方、問題も明らかになってきました。客観的な事実よりも、感情や個人的な概念に訴える挑発的な情報の影響が大きくなり、ポスト真実(Post truth)時代ともいわれています。一次情報を緻密に集積し整理し利用を促進する事業は社会の基盤となるものです。

120年前に尼子四郎先生が時代をどう感じその先に何を見ていたのか、これからもそれを追い続け、この事業が⻑く継続しますます発展されることを願っています

倉敷中央病院 副院長
福岡敏雄

編集委員 門川俊明  

医学中央雑誌創刊120周年まことにおめでとうございます。

私と医学中央雑誌のお付き合いのきっかけは、医学のあゆみの連載記事「医家向け電脳道具箱」で、医学中央雑誌訪問記を書いたことでした。高井戸の医学中央雑誌社屋を訪問させていただいて、実際にデータベース作成作業を見せていただきました。当時の感想は、手作りでデータベースを作られているのだなということです。

当時は、医中誌Webの抄録は第三者抄録が中心で、インデクシングも手作業で行われていました。今では、著者抄録も増え、インデクシングも自動化が進んでいると思われますが、医中誌ならではの強みと、弱点は今でも同じように存在するのではないかと思われます。

Open AIなどで様々な文章が自動で作成される時代になっており、この先10年を見越すことは難しくなっていますが、次の10年を見据えて、大きなジャンプアップをされることを医学中央雑誌には期待したいと思います。

慶應義塾大学医学部 医学教育統轄センター 教授
門川俊明

理事 山口直人  
医学中央雑誌創刊120周年に寄せて

医学中央雑誌創刊120周年の達成を心より御喜び申し上げます。

医学の発展には研究成果を学術論文という形で共有することが不可欠です。「科学的根拠に基づく医療(EBM)」が医療の意思決定の標準となった今日では、「学術論文の共有」をEBMと関連付けて理解する方が少なくないのではと思います。筆者は日本医療機能評価機構の理事としてEBM推進事業を16年間担当しましたが、当時は私自身も、学術論文をEBMの構成単位となるエビデンスとしてしか見ていませんでした。しかし、EBMという用語が使われ始めて高々30年。対して、医中誌120年の歩みはEBMの発展をはるかに超えるものであり、我が国の医学・医療に大きな足跡を残し、さらに、将来にわたって貢献を続けることは疑いありません。

医学に限らず、私たちの知の営みには、既に獲得し、結晶化された知識(crystallized intelligence)を活用する営みと、不確実な、液状の世界と格闘する知の営み(fluid intelligence)の両方が必要であると言います。EBMはまさしく、既に得られ、結晶化された知識の上に成り立つ閉じられた世界です。一方、医学の知識は未だ限られており、未知の大海に漕ぎ出し、液状の世界から新たな結晶を取り出して、知の地平線を切り開いてゆく冒険者の心も重要ではないかと今更ながら気づかされます。そして、医中誌こそが、疑いなく、私たちに医学の大海を与え続けてくださると確信しています。

済生会保健・医療・福祉総合研究所 研究部門長
山口直人