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ご挨拶

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医中誌Webの刊行に携わって18年

医学中央雑誌刊行会 理事長
脊山洋右

私が医学中央雑誌刊行会に初めて関与したのは2004年のシソーラス委員会でしたが、2005年以降は編集委員を務めております。その後2007年にNPOの理事に就任し、2010年に篠原恒樹前理事長が亡くなられた後を継ぎ理事長として既に13年を経ております。

お茶の水女子大学を退職した2006年からは、週に3日ほど高井戸に出社して生化学領域の文献を読んではその抄録を書くという仕事を行いました。この時は大学評価・学位授与機構の客員教授を併任しておりましたが、椙山女学園大学の生活科学部に赴任するまでの2年半の実務は医中誌データベース事業の重要性を知る上で私にとって貴重な体験となりました。

私はこの間、学術著作権協会(JAC)の理事長、日本複製権センター(JRRC)の監事、日本医学会医学用語管理委員会の委員長、国際医学情報センター(IMIC)の理事を兼ねています。この5つの組織がお互いに重なり合う領域で仕事を行ってきたということが幸いして、私は我が国における医学情報に関わる全体像を眺め渡すことができました。例えば、日本医学会医学用語辞典の用語分類を行うシソーラスは医中誌Webのシソーラスに基づいており、両者に共通しております。学術著作権協会が対象とする著作物は医中誌Webと重複しておりますし、国際医学情報センター(IMIC)とは情報提供という業務の上で共通性が高いと言えましょう。これら5つの団体がお互いに棲み分けをして相補的に活動をしていくことはこれからも大切なことであります。

医中誌Webには『OLD医中誌データ』が収録されております。これは医学中央雑誌の制作方法が電子化された1983年4月発行以前の創刊号からのバックナンバーをデジタル化したもので、120周年を迎えたこの3月にこのデータ化のプロジェクト(「OLD医中誌プロジェクト」)が完了し、医中誌Webで創刊号から最新データまでを一貫して検索できるようになりました。OLD医中誌で書誌情報を検索した上で、リンク先の「国立国会図書館デジタルコレクション」に飛ぶことによって「医中誌アーカイブ」上の画像ファイルにて抄録を読むことができます。

文献データベースのクオリティーは掲載されている文献の内容によりますが、新しい文献が正しいとは限りません。この4年間の新型コロナウイルスの文献でも既に否定されてしまったものも数多くある半面、数十年も前の論文でもその後の科学の発展に大いに寄与したものもあります。120年前に始まった医中誌もOLD医中誌が組み込まれたことによって貴重な原著論文にたどり着けるようになったことは画期的なことと言えます。

個々の論文の良否を判断するのは医中誌Webの書誌情報を読まれた利用者の判断に委ねられますが、私共は論文の抄録が偏りのない品質を維持すべく、職員一同努力を続けております。

1903年に創刊され120年経った「医学中央雑誌」は冊子体からCD-ROM版を経てWeb版へと姿を変えて発展してきましたが、今後も更なるデータベースの伝達方法の展開に対応していく所存です。

創刊120周年、医学中央雑誌への特別な思い

医学中央雑誌刊行会 編集委員長
東京医科大学 理事長
矢﨑義雄

この度、医学中央雑誌が創刊120周年を迎えられることができました。これまで本誌の刊行にご尽力いただきました編集スタッフの皆様及びご指導いただきました先生方々に心より御礼申し上げます。

医学中央雑誌と私の出会いは、1965年に東京大学医学部第三内科に入局した時ですから、60年近くご一緒させていただいたことになります。当時、第三内科の循環器研究室のグループが、浴風会病院で尼子富士郎先生とともに剖検例に基づいた病理検討会を催しされておられましたので、わたくしも参加させていただいたのがそもそもの始まりでした。その時、尼子先生が膨大な資料に囲まれて医学中央雑誌を編集されておられた、今となっては大変貴重なお姿を拝見するとともに、私たちの先輩である、村上元孝先生、藤井潤先生が中心になって、先生を支えておられたのを昨日のように懐かしく思い出しております。その後、医中誌を支えてこられた先生の多くの方々がお亡くなりになり、そのご縁で私が編集委員長 を務めさせていただいております。

近年の文献の電子化が進展する中で、医学中央雑誌も電子化をすすめる方針をいち早く決め、多くの困難を乗り越えて、現在のWEBによる医学文献情報検索のサービスに移行することができ、今日では、1,500万件の文献を収容し、1日2万人の方々が検索に利用されている、国際的にも高く評価される情報検索サイトになっています。これからも、検索機能の向上と利用しやすさを目指して努力致しますので、ご一層のご支援をよろしくお願い申し上げます。

医学中央雑誌 120年の挑戦と応戦

医学中央雑誌刊行会 専務理事
三沢一成

1903年(明治36年)3月25日、東京で開業していた尼子四郎の個人事業として創刊された『医学中央雑誌』は、2023年3月で120周年を迎えました。

これまで長期にわたり事業を継続できたのは、ご利用の皆様と編集・出版・サービスなどで協力いただいた関係者のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。

創刊120周年までの間には、地震などの災害、戦災、疫病などの外因や印刷・発行・サービス形態の変遷、編集方法の変更、経営状態などの内因によって事業継続の危機に何度か見舞われました。

  1. 1923年:関東大震災の被害による休刊(1か月間)
  2. 1944~1946年:戦時中の用紙の不足と事務所の焼失による休刊(1年4か月間)
  3. 1982~1983年:活版印刷から電子組版への移行に伴う編集現場の混乱(約2年間)
  4. 2000~2002年:冊子体やCD-ROM版からWeb版へとサービスの移行に伴う困難(約3年間)

事業を進める中で降り掛かってくる挑戦に対して、多くのご支援をいただくなか、役職員が一丸となり奮い立って応戦したことが今日まで継続できた理由だと考えます。これまで同様に油断せず進取の気性をもって、次は創刊130周年を目指し団結して地道に進んでいきたいと思います。

これからも皆様のお役に立つよう、医学・歯学・薬学・看護学および関連分野の文献情報を網羅的に集め、医中誌Webにて迅速に提供してまいります。ご指導ご鞭撻のほど何とぞ宜しくお願い申し上げます。